Remember 3章


 断片考察……起  


 ふと、僕は気になる事がある。ピースを一つ無くしたパズルの事だ。
 余程難度の高いパズルを除けば、大方、完成図を見て作る。組み上げた本人は既に、完成図はどの様な物かは知ってる。しかし、そのパズルを全く知らない第三者が、そのピースの足りないパズルを見たら、どうなるのだろうか。
 多分、場所にもよるが、周りのピースから推測は出来る。しかし、そのパズルは酷くいびつで、欠陥品だ。
 欠陥品は必要とされない。すぐに処分され、この世から消え失せる。消え失せなくとも人々から忘れ去られる。
 そう、全てに例外は無い。例外は存在しないのだ。
 だから、いずれ僕の思うパズルもその通りになる。人々から、忘れ去られる存在へとなる事だろう。
 例外は無い。そう、例外は存在しない。存在しない。
 そのパズルにスペアピースはない。そう、スペアペースはない。
 


 断片考察……結  


 


 反省をしよう。よく考えて行動しなかった事に反省しよう。俺は珍しい電車酔い保有者。言うなれば、選ばれし者だった。選ばれし者よ、機関に集え……くっくっくっ。なんて冗談はさておき、今の状況は相当にひどい。
 まず、調子に乗って敢行したダブル一気だ。鼻の粘膜を焼き、無様に垂れ流したコーラは幸運なことか、服を汚すことはなかった。しかし、焼き払われた粘膜のダメージは甚大で、その上、コーラに含まれる砂糖の影響でコーラが鼻腔内にへばり付くと言う事態に陥ったのだった。しばらくすると、炭酸は抜けたが、鼻腔内いっぱいに広がるコーラの匂いが俺を悩ませたのだった。その為、駅のトイレで鼻うがいをする羽目となってしまった。駅のトイレで、鼻に水を突っ込む男の姿を思い浮べて頂きたい。恐ろしくシュールである。
 そしてこの俺の特殊能力、電車酔いである。鼻うがいでコーラの匂いは何とかとれたものの、かつてそこに砂糖へばり付いていたと言う感覚は、そう簡単にぬぐい切れなず、ただでさえ気持ちが悪い上に、電車酔いである。相乗効果で悲惨な目に会っているのは、想像が容易だろう。
 そんなことで、吊革にぶら下りながら、俺は今、相乗効果によって強大化した電車酔いEXと戦っている。キングスライムの比にならない戦闘力で、俺を襲っていた。
 その様子を心配そうに見ていてるのは、俺の目の前の座席に座る葉月だ。俺らが乗り込んだ時、席が一つ空いていたのだ。もちろん、葉月に譲ったのだが、遠慮深い性格の葉月は拒否したのだった。何とか説得して、座らせたのだが、みるみる俺の顔色が青くなってゆくらしく、徐々に罪悪感の色に表情が染まっていった。
 


「あの、片陸君、大丈夫?」
 


「大丈夫だ……単なる珍しい電車酔いなだけだ」
 


 瞬間、葉月が席から腰を浮かした。
 


「だったら、席……」
 


「いや、大丈夫だ。立った方が酔いは少なくて済むんだ」
 


 大嘘である。実際には座った方が酔いは少ない。しかしここで間違って、真実を言ってしまえば葉月は迷わずに席を立つだろう。
 真っ蒼な顔をして言うのは、なかなか説得力がないのだが、ここで葉月を立たせてしまったら、何か負けた気がする。根拠はないが負けた気がするのだ。
 葉月は納得がいかなそうな顔をしているが、しかし、本人が言う事を信じてか、浮かせた腰をもう一度、席へと落した。
 酔いと戦いながら、車両内を観察してみる。俺一人が立っているだけであり、そのほかの乗客はすべて座っている。ほぼ乗車率は百パーセントだ。白峰駅から乗り込んだのは俺らのみだった。この点から察するに、白峰駅は通学と通勤の使用が主だと思われる。と、言うより、少なくとも河本家付近の住民構成が、半分以上が老人な点を見ると、駅周辺の年齢層が高いのも一つの原因となっているだろう。
 乗客の年齢層を見ると、様々である。老人から幼い子連れの夫婦、そして俺らと変わらない位の若者といった具合だ。
 女性車掌のアナウンスが流れ、駅名を告げる。昨日、武田が最寄り駅として挙げた駅だ。
 電車がしばらくホームを滑る。
 停車。
 ホームを見る。
 無人。
 ドアは開かない。
 フィルタを通したように聞こえる発車メロディ。
 再び電車は滑る。
 武田は乗り込まなかった、と言う事はすでに先に行ってしまったという事だろう。
 


「それにしても」
 


 葉月が急に切り出してきた。外に意識を向けていた俺は、それを葉月に向けた。
 


「電車酔いなんて、本当に珍しいですね」
 


 微笑みながら問いかけてくる、葉月。未だにその表情に心配の色は無くなってはいないが、腰を浮かした時よりも幾分と薄くなっている。
 なぜか、いい意味の嘘なのだが、罪悪感を覚えた。まるで、無垢な子供を騙しているような罪悪感だ。
 


「モンスターには弱点が必要だろ? 俺は電車が弱点なんだ。車、船、飛行機は問題ないんだがな」
 


 電波チックに返答し、補足としてその他の乗り物の酔いの有無を言う。
 モンスターって何ですか、と葉月が苦笑いをしながら俺の電波発言に答える。電車酔いと格闘しながら、電波発言をするあたり、俺もまだまだ元気があるという事だろう。
 


「私は、乗り物に酔った事はないです……こう見えても結構強いのかな?」
 


「確かにな。小学校の遠足だなんだの時に、真っ先に酔ってグロッキーになりそうなのにな」
 


 自分がグロッキーになりながら、素直な感想を述べる。俺の中に存在する葉月のイメージが、病弱な薄幸少女──こう聞いたら怒るだろうか?──と言うものだった。乗り物酔いも例外なく、ことごとく駄目、と言うのが勝手な俺のイメージである。
 人は見かけによらない、と言う事だろうか。それとも、俺がそのハイクオリティな妄想力で、見かけで人の性格を構築してしまい過ぎるだけなのか。だとしたら悪い癖だ。いずれにせよ、本当に意外だった。
 


「でも、私、どうしてか覚えてないんです。遠足とか、修学旅行とか……そう言ったイベントの事を」
 


「若年性アルツハイマーか? 本当に若すぎるぞ」
 


「そういうのとは違います。確かに参加した筈なんです……そう、参加したこと自体は覚えているのに、何をやったか、誰と仲良くなったか、何が楽しかったか……それが思い出せないんです。本当に参加した筈なのに……」
 


 からかった後の反応は真剣そのものだった。葉月の視線はリノニウムに似た床を捕える。
 記憶がない? と言う事だろうか? しかも、妙な事に言った事は覚えているのに、そこで何をしたかを覚えていないというのだ。ど忘れなら、有り得るが幾らなんでも、中学の修学旅行を忘れる、と言う事はないだろう。
 葉月は、何か病気なのだろうか? そもそも、普通科の在校生も知らないのだ存在、療養科に通っているのだから、何かしら普通ではないのだろう。療養、と言う名前も気になる。
 思えば、この葉月成美と言う少女、不明な点が多すぎる。まだ会って三週間と言う所で、全てが分かるわけがない、いや、そもそも他人を完全に理解できることなど不可能であるが、それでも不明瞭な点が多すぎるのだ。
 気がつけば、沈黙していた。俺と葉月の間に流れるのは、電車の走行音。俺は葉月の事を、おそらく葉月は自分の不可解な記憶喪失に付いて考え込んでいたからだろう。
 再び車掌が告げる駅名。
 徐々に減速する車両。
 駅名のリフレイン。
 ホームに滑る車両。
 


「まあ、あれだ」  


 車両の壁越しに聞こえる発射メロディをバックに、沈黙を破るべく一言紡ぐ。
 


「深く気にするなよ。ど忘れかもしれないしな。俺なんて酷いと昨日の夕食のメニューすら忘れることあるしな」
 


 冗談らしく、笑い飛ばす。
 再び電車は揺れ、ホームから遠ざかって行った。
 


「片陸君、それこそ若年性アルツハイマーだよ」
 


 暗い表情から、苦笑いにシフトした葉月。葉月に自分が先ほど返したツッコミを返されると何故か、少し悔しい。それでも、俺と葉月の間にあった沈黙は拭えた。
 何かを言おうかと、電車酔いでクリアではない頭で思考する。が、あまりにも酔いが酷く、何も言い返せない始末だ。
 そうこうしている内に、車掌が俺らの降りるべく駅名、黒島を告げた。
 減速してゆく車両。葉月は席から立ち上がり、ドアの前に立つ。車両がホームを滑り、停車した。葉月がボタンを押し、ドアを開ける。乗り換えのためか、今まで開かなかったドアだが、この駅は違うようだ。現に、俺と葉月の他にも乗客が降りようとしており、その他からのドアも油圧の駆動音が聞こえていた。
 電車酔いの余韻の中、黒島駅のホームを歩く。白峰駅と比べ、田舎っぽさがないホームだ。例えば、ホームの壁に複数に設置されている看板だ。白峰駅は驚くことなかれ、なんと、廃れたホーロー看板だった。それが、黒島はプリントされた看板なのだ。これは都会的だ。
 ふと、田舎田舎と内心で罵っていた俺だが、俺自身まで田舎色に染まった気がした。何しろ、ホーロー看板じゃなくて喜ぶレベルである。と、言うよりも、国鉄からJRに変わった時、ホーロー看板も変えなかったのだろうか? 白峰駅のホーロー看板は色褪せており、相当な年数の経過──電話番号は桁数が変わった為か、まだ新しかったが──を感じさせた。
 ホームの階段を上がり、改札口へと向かう。集合場所が改札口となっており、決してこの黒島で降りるわけではない。このあと乗り換えるのだ。電車酔い持ちの俺にとっては地獄のような話である。
 改札口を確認し、葉月と共に近づく。他の路線の利用者数が多く、改札口は混雑しており、また、改札口の広さもそれに応対すべくそれなりの広さを誇っていた。その為、すでに集合しているであろう、その他の面子を探すのに苦労をした。
 やっと見つけ、連中に近づく。すでに居たのは、草加と串井の二人だった。武田はまだ来ていない。
 よう、と右手をあげて挨拶すると、串井もそれにならってきた。何故か知らないが、いつも通り元気な串井に比べ、草加は衰弱しきった表情をしている。
 


「どうしたんだ、草加。生きたツチガエルを丸のみしたような顔して」
 


「面白い表現ね。でも、あながち間違ってないって言えるかな? ね、三成」
 


「まじか。じゃあ、ツチガエルや、サンショウオや、イモリを丸のみしたって事か! 流石、成績トップの男だ!」
 


「違う……確かに飲んだが、そんな少年漫画だったら打ち切られるような画じゃない……」
 


 草加が突っ込むが、いつもの勢いがない。一体何をされたのだろう?
 


「司が……コーラとメントス用意して……投入して口にねじ込みやがったんだ……」
 


 俺と似たような事を思いつき、同じような事を実行していた串井に、いささかの既視感を覚えた。と、言うより、俺とほとんど同じ事をしていた気味の悪さに、思わず葉月と目を合わせた。
 


「しかもね、心やさしい私だから、特別増量で一リッターをチョイス! もったいないらメントスも全部投下! いや〜、ものすごい勢いで驚いた、驚いた」
 


「馬鹿野郎……。そのおかげで俺は酸欠に陥って落ちかけだろうが……腹の中で二酸化炭素が発生して今も気持ち悪いんだよ……」
 


 本当に気持ちが悪そうな草加。一リッターのコーラを、しかも、メントス投下で噴水のよろしくの勢いのコーラを胃の中に納めればそうなるだろう。
 俺以上のクオリティを誇った串井に負けた気がして、なんだか少し悔しい。
 


「そ、そういえば武田君は来てないんですね」
 


 死にそうな草加を庇ってか、葉月が話題を切り換えた。武田はまだ確かに来ていない。俺らの乗った電車でないのなら、もう間に合わないのではないのだろうか? このローカル線の状況から考えて……だ。
 葉月がミーアキャットの様に、辺りを見渡す。つられて、俺も辺りを見渡す。俺の視線を、背にある改札機に移動させた。その時、武田が、改札口の向こうから切符を通過させていた。どうやらすでに、こちらを見つけているらしく、一直線に向かってきた。
 


「よう、武田。お前、どうやってここまで来たんだ?」
 


「原付。電車賃払うよりはさ、自分の原付乗ってきた方が安いからね」
 


 内心で武田が原付の免許を持っていた事に驚きつつも、納得する理由だった。どうでもいい事だが、新聞配達に使われているホンダのスーパーカブは原付じゃないらしい。
 


「よし、全員集合ね。それじゃ、さっさとホームに向かおう!」
 


 嬉々としてホームへと向かうべく、歩みを進めた串井。その、軽々しい足取りに比べ、俺の足取りは重かった。それは何故か。答えは簡単である。
 そうだ……俺は、選ばれし者……! 他の奴らとは違う。そう、俺には人知を超えた能力がある……。くっくっくっ、能力を抑えることは難しい……。俺自身でも暴走を食い止められないから、気を付けるがいい……!
 出来の悪い、中学生でも思いつく伝奇小説の様な独白をしてみたが、なんて事のない。ただ単に、珍しい電車酔い保有者なだけなのだ。今から、もう一度、あの独特の倦怠感に抱かれに行く。わざわざ、自分を傷つけに行くのである。そう考えると、足取りが重くなるのは必然の事だろう。
 串井を先頭にホームの階段を下って行く。タイミングを図ったように流れる接近アナウンスを、階段の中腹で聞きながら、俺は内心で溜息を一つし、覚悟を決めた。
 俺、この電車に乗り終わったら、体全体で喜びを表現するんだ──
 


 ***
 


   何故かは知らないが、距離ではそうでもないのに、ここ最近で一番の悪酔いをしてしまった。電車の中では、変人──多少の体調不良なら、俺ならなじる── の串井ですら心配するほど顔が青くなったらしく、また、俺も乗車中の会話を何一つ覚えていない。何しろ、倦怠感を超え、吐き気すら覚えた程の強烈な悪酔いであったのだ。電車の揺れはさほど酷くないのに、である。体全体で喜びを表現するどころか、今にも俺の口から栄光の架け橋を造りそうな勢いだった。
 青倉に着いた早々、俺は目に入ったベンチに滑り込み、撹乱した三半規管を正常化させる事に努め、多少の時間をロスしてしまった。
 最も、串井が言うには、そんなに時間の浪費を気にする事はしないらしい。ただ、やはり、俺の中に存在する、バツの悪さを拭い切れない。真面目に電車酔い対策を考えようか。三半規管が敏感云々と言うが、俺の場合何故か電車のみに発生するのだ。まさか、それ以上の揺れを引き起こす船で酔わないのであるから、少なくとも三半規管が敏感と言う事はないだろう。
 そうすると、俺の電車酔いはどうしようならないのではないのだろうか? 俺の知る、乗り物酔いを克服する方法は、常に進行方向を見る、と言うものだ。しかし、これは車酔いが激しい場合によく言われることで、進行方向が見るに見れない電車ではどうしようもない。
 ここはひとつ、ネタを増やす意味を込めて、病院でも行ってみようか。先生! 持病の電車酔いが酷いです! 入院させてください! こう言えば、きっと医者は目を丸くして、驚くばかりだろう。それで入院させてくれたら、それでこそ笑い話だ。喜んで自虐ネタとして使おう。
 さて、今俺らは何処に居るのか。大きめの駅にならどこにでもある、複合商業施設、要するに、ルミネやマルイの類の店内にいる。因みに店名は知らないし、聞いたことがない。関東地方には少ないらしく、どうやらここが、関東進出第一号店らしい。だったら、日曜の王様のブランチとかメレンゲの気持ちとかの番組で、紹介されてもいい気がするが、気にしては始まらないだろう。
 さらに詳しく言うなれば、女性物の服や雑貨──アクセサリやぬいぐるみと小物店が点在している──が集中してるフロアに俺らは居て、串井がずんずん葉月を引っ張り、歩み行く、といった具合だ。因みに草加は串井に無理やり、荷物持ちをやらされている。
 串井が先ほどとは別のショップに入り、物色を開始する。最初は控えめであった、葉月も本当に僅かであるが、乗り気になっているようだ。
 その様子を、武田と俺で、離れたところから見守る。さっきから、完全に二人は女子の世界に突入しており、俺ら男子が入り込む余地がない。草加は金魚のフンよろしくに、串井の後を付いてはいるが、全く相手にされていない。荷物が徐々に増えてゆく様は、まるで人間ショッピングカートである。つまり、人間扱いをされていない。
 


「哀れだな」
 


「そうだね、あの二人の上下関係が見て取れるよ」
 


 草加の様子を眺め、それぞれの感想を述べる。無論、上下関係の上は串井で、下が草加である。
 


「二人がさ、結婚したら間違いなくカカア天下になるよね」
 


「それどころじゃないな、草加の権利は全て剥奪され、ただ単に働いて金を運ぶだけの運び屋に成り下がるだろう」
 


 容易に想像できる。仕事帰りで、疲れきった草加。そこに飛んでくる、串井の命令。おそらく、洗い物をしろだとか、そう言った類の命令だろう。
 否定もせず、無言でそれを取りかかる草加。その背中には、サラリーマンの哀愁が漂う。まだ、年を食っていないのにその哀愁は、大阪のおばちゃんが妻の中年サラリーマンの持っているそれと酷似している。
 こうして、草加は一生搾り取られるのだろう。それは正に、串井に尽くしきった一生と言っても過言ではなく、奴隷そのもの人生だ。
 その前兆として目の前の光景だ。口ではブツクサ何かを呟いているのが、こちらからでも確認できる。流石に内容までは解らないが、間違いなく今の待遇に対する不満であろう。と、言うより、それしか考えられない。
 しかし、串井が草加を呼ぶと、その小言は瞬時に消え、そそくさと指示に従う。まるで、本当に奴隷と主人だ。いや、下手をするとそれ以下かもしれない。そうだな、差し詰め馬車馬と馬車の客と言ったところだろうか。もうすでに、人間と人間の関係ではない。
 


「それにしても、酷いな」
 


「そうだね」
 


 再び同意して、草加を見守る。態度こそは卑屈ではないが、十分に奴隷の気質があるように思える。まず、表情の変え方が非常にうまい。一瞬にして、いかにも文句のある表情から、文句の色を消しさる。これは熟練の業だと思う。
 本当はコイツ、睦月さんに気があるんじゃなくて、串井に気があるのではないかと疑ってしまう。それほどまでに、串井に忠実である。奴隷とも言えよう。
 そんな会話を続けながら、奴隷状態に陥っている草加を眺める。ところどころ恭しい態度が、より一層哀愁を掻きたてた。
 


「カタリ君、ちょっと」
 


 場所をアパレルから移動しようとした時、串井が俺を指名した。草加を見るともう、持て切れない量の荷物を持っていた。奴隷を俺にシフトするのだろうか?
 指名されていて、行かない訳にも行かないだろう。多少嫌な予感を抱きながら、串井の元へと向かった。葉月は今更草加の待遇に気がついたらしく、かなりバツの悪そうな顔をしており、離脱した草加の元へ行き、自分も荷物を持とうと提案していた。
 串井が、それを確認して、小さく指で方向を示した。目の前には、何故か服などのフロアにも関わらず存在する、ケーキ屋。普通こういうのは、地下とかにあるものじゃないだろうか?
 


「三成ね、シュークリームが好きなんだ」
 


 店を指した指を、ショーウィンドウに移動させ、まるで、何か誤解を招きそうな台詞を吐いた。と、言うより草加はずいぶんとめんこい物が好きらしい。
 ショーウィンドウの中にあるシュークリームは、やや高そうな上下のシューにクリームを挟む形のものであった。
 


「シュークリームと言えばさ、一つ、ネタがあるよね」
 


 そこで、串井の意図に気が付いた。つまり、かつて結んだ、変態同盟の内容により俺が召喚させられたのだった。
 


「シュークリームと言えば……」
 


 笑いをこらえ、串井に答えを言わせる。と言っても答えはすでに、解っており、答えさせるものではないのだが、あえて聞いてみた。
 串井はにやりと笑みを浮かべ、ポケットに手を突っ込んだ。ポケットから満を持して出てきたのは、三つの黄色いチューブだった。そのチューブには全てからしと書かれている。そう、どこの家庭にもある、あの一般的なチューブからしであった。
 やりたい事とはつまり、よく芸人とかが罰ゲームで敢行する、からし入りシュークリームを作ってしまおうという事である。予想は完全に当たった。 
 互いに、サムズアップで答え、計画を実行へと移行させる。シュークリームを人数分購入し、店の隅に存在するテーブルに腰掛ける。一つのシュークリームの上の部分を取り外し、眼前には露出したクリームが露わになる。
 再び、串井がポケットに手を突っ込み、銀色の長細いものを取り出した。バターナイフだ。バターナイフで器用に、そして豪快にごっそりとクリームをえぐり、シュークリームをシューのみにした。
 バターナイフを手術時にメスをもらう看護師の様に串井から受け取り、次の作業を見守った。串井は三つのからしの蓋を開けると、それらを同時に絞りあげた。三つ三角形状に並んだチューブから、黄色いからしが勢いよくシューに向って噴き出した。みるみる内に、シューの上にたまるからしの面積は大きくなる。が、元のクリームの量の半分にも満たない量で、からしの堆積は止まってしまい、なんとも中途半端な結果となってしまった。
 すると串井は、再びポケットに手を突っ込み、新たに四つのからしを取り出した。そして、再び四つ一気に絞り上げる。どうでもいいが、串井のポケットはドラえもんの四次元ポケットを想像させる。
 晴れて、からしが、元のクリームに匹敵する量となった。締めに、もう一つのシューを重ね、シュークリームは外見上は元の形へと戻った。
 


「次にね、予定ではカラオケに行くの。そこで、絶妙なタイミングを見計らって光成の口の中に放り込みのよ。それを手伝ってくれない?」
 


「喜んで。まあ、着いて早々だとつまらないから、本当に絶妙なタイミングで入れようか」
 


 再び、サムズアップで互いの健闘を祈る。ふと、心に浮かんだ疑問を口に出してみた。
 


「ところで、このおびただしい量のクリームはどうするんだ?」
 


 バターナイフを串井に渡した。
 


「こんな物の処理はね、こうしたらいいのよ」
 


 バターナイフにへばりつく、クリームを串井は口に放り込み、文字通り本当に処理をした。シューもなしによくあれだけの量が食えたものだと、素直に感心した。まず、俺は無理だ。甘いものは嫌いではないが、あの量のクリームを食すると、間違いなく気持ちが悪くなるだろう。
 草加たちの元へ帰る際、その短い道中で俺はある面白いものを発見した。それは自販機に売られており、そのラインナップに一際目を引くものだった。串井は俺の先を進み気が付いていない。先ほどのシュークリームと言い、メントスコーラと言い、今日は串井に負け続けである。俺は財布から、金額分のコインを取り出し、素早くプッシュした。
 排出音。
 取り出し口に転がるペットボトル。
 取り出す。
 手に伝わる冷たさ。
 こみあげてくる笑いをこらえ、その飲み物を人目につかないよう、バックにしまい、草加たちへの元へと急いだ。
 串井の話によると、次に向かうのはカラオケ。草加を串井と共にハメた後、俺の手に入れたこの最強アイテムを使うとしよう。タイミングも……そうだ、なるべくハメた直後がいい。その為には、どうしたらいいか。
 時間にすればわずか数秒、草加たちと合流するまでの短い間であるが、俺のV10変態エンジンが本日二度目のエキゾーストノートを響かせた。あらゆる状況を想定し、俺の望む結末に至るまでの過程を出力する。
 可能性の低いものから、次々と思考からそぎ落とし、純度の高いものを抽出し、最終的に残った方程式をはじき出す。
 計画は完璧、妄想シミュレータで何度もシミュレーションを行ったが、何の不備もない。準備段階で言えば、くどいようだが、計画は完璧である。
 串井よ、俺も負けてばかりはいられないのだ。今回のからしシュークリームを食うような変態行動を、俺は直後に取らせてもらうぜ。
 内心で不敵な笑い浮かべ合流する、音で表すなら、フフフといった所だろうか。とにかく、次に向かうカラオケが楽しみであった。
 


 ***
 


 カラオケに着いてからは、しばらくは串井と共謀して草加を陥れる事を先延ばしにして、カラオケの正当な意味で楽しむ事にした。正当な意味、つまりは歌う事である。
 俺は、とりあえず、ネタ曲と言われるものを主軸に予約をした。例を挙げれば携帯哀歌、みかんの歌、さなだ虫などである。
 しかし、ネタ曲を入れるのには串井とのデットヒートが繰り広げられた。串井は俺のネタ曲に対抗して、同じ歌手の歌う別のネタ曲を繰り出した。
 そこに武田と草加がネタ曲合戦を阻むように、普通のJ-POPや洋楽を入れる感じでカラオケは進んで行った。どうでもいい事だが、串井と草加の歌唱レベルがひど過ぎる。音程ははずすは、リズムはおかしいのなんだので、どちらとも甲乙つけがたい。
 武田は普通の歌唱力で、選曲センスもごく普通である。かくいう俺の歌唱力は、自分で感じる限りでは上手くもなければ、下手でもない。といった感じだ。
 ふと、葉月が歌っていない事に気が付いた。一度、フリードリンクで持ってきたカルピスに口をつけ、葉月に近づく。
 


「どうした。何か歌えば」
 


 今歌っているのは、串井で、音がはずれているブリーフ&トランクスのペチャパイである。時折、串井が自分の胸を気にしている。正直あまり大きくないと思う。そんなシュールなBGMの中、俺に対し、葉月は上目づかいに見てきた。何故か、かわいい。やはり、男は女の上目づかいに弱いのだろうか。これは重大な欠陥である。
 


「いえ、なんか……恥ずかしくて」
 


「いやいやいや、そら、ないだろ。ここに来て、何も歌わないって、何か勿体なくないか?」
 


「あ……でも」
 


「下手ってなのはなしな。ほれ、串井見ろ」
 


 やはり自分の胸を気にしながら、ペチャパイを熱唱している串井を指さす。やはり音が外れており、下手である。
 


「草加も相当にひどい。プロ並みに歌おうとするのが無理だろ。楽しめばいいだろ」
 


 葉月はしばし、考えたような表情を見せた。そして、するすると予約を操作するリモコンに手を伸ばした。
 操作を終え、歌詞と安っぽいPVが表示されているディスプレの左上に予約確認を意味する字幕が表示された。曲名はワダツミの木。結構古めの選曲だが、俺もなかなか古い曲を選んでいるので人の事言えないだろう。
 串井のペチャパイが終わり、PVの表示が切り替わり、確認されている全予約曲が表示された。次に入るのは、武田か草加の入れたクイーンのフラッシュ。その次に葉月の入れたワダツミの木が入っている。
 草加がマイクを取る。どうやら、フラッシュは草加の選曲らしい。特徴のある、イントロが入り、草加の酷い歌声が入る。リズムもやはり滅茶苦茶で、音もかなりはずしているが、どういう訳か、英語の発音はやたらにいい。成績優秀者だからだろうか?
 フラッシュが終わり、マイクをテーブルに置いた。表示された予約項目を眺め、葉月は、リモコンに手を伸ばした時同様、するするとマイクを取った。
 ディスプレに表示されるPV。
 下に表示される間奏時間。
 一室を流れる、神秘的なイントロ。
 歌詞が表示されたと同時に、歌いだす葉月。
 なんと言おうか、下手ではない。かと言って上手くもない。正直なところ、ごく普通の上手さで、特に特筆する点が見当たらない。
 葉月は歌い終えると、すぐさまソファに座ってしまった。顔は赤い。どうやら恥ずかしかったのであろう。それでも、俺が思うに恥ずべきでないレベルだ。
 


「葉月、悪くなかったぞ。カラオケはさ、遊びなんだからあまりそう恥ずかしがるなよ」
 


「いえ……私、カラオケ行ったことなかったから、慣れてなくて……」
 


「……葉月、お前、本当に女子高生か? なんだか、俺にはお前が天然記念物に見えてきたぞ」
 


 俺の率直な感想に対し、どこか照れたような表情を、葉月は浮かべた。確か、葉月は自分に友達が少ないと自分で言っていた。それにしても、一度もカラオケ行った事がないとは驚愕の事実である。
 今、歌っているのは武田で、曲名はコブクロの蕾である。
 ふと、串井と目が合う。そして、串井の横に置いてあるからしシュークリームが入っている箱を指さした。それはつまり、計画開始を意味していた。バックに眠っている、俺の購入した秘密兵器を意識する。
 串井と目配せをし、簡単な作戦会議を立てる。いかに、草加をハメるか。どのようにして口に放り込むか。変態同盟による、視線会議。しかし、思った以上にいい結論が出てこず、結果、普通にだまして口に入れさせるという、何も面白みのないものが結論となってしまった。
 


「ねぇ、三成。シュークリーム買ってきたんだけど、食べない?」
 


 率直に串井が草加に問う。いくらなんでも、あまりにストレートすぎる質問に、俺はもう一度口にしたカルピスを吹き出しそうになった。串井はなるべく自然を装うように、他に買ったシュークリームを葉月と俺に配った。歌っている武田にも、シュークリームを手渡した。シュークリーム片手に歌っている姿は、なかなかシュールであった。
 


「いや、もう武田が歌い終わるし、その次俺だし、あとでいい」
 


 その言葉の直後に、武田の蕾は演奏を終了した。予約確認画面によると、次に草加が歌うのはモスカウであった。なんだか、微妙なんだか、渋いのだかよく分からない選曲である。
 考えてみれば、これはチャンスである。ある意味、草加にからしシュークリームを食わせるのに、これ以上にないという位のタイミングではないか。
 串井と目配せし、互いに考えるタイミングを伝える。どうやら、考えるタイミングは同じらしい。背後にモスカウ独特の長い、長いイントロが流れ出す。
 モスカウのイントロが流れ続ける。
 まだ、ディスプレには歌詞が表示されない。
 少し、緊張しているのを覚える。
 ディスプレを注視。
 改めて長い。
 武田と葉月が奇異の視線をこちらに向けている。
 それが変態心をくすぐり、気持ちいい。
 歌詞の字幕が、ディスプレイの下部に表示させた。
 今だ!
 俺の役目は串井の持つ、からしシュークリームを草加の口に入れやすくする事である。
 草加の頭を不意に、それもなるべく力強く、されど強すぎずの微妙な力加減で後ろに引っ張る。
 マイクの前に位置していた草加の口は、その行為により、上に向ってぽっかりと口を開ける形となった。そこに串井が半ば力技でからしシュークリームをねじ込む。
 それを確認した俺は、引き上げた草加の頭を戻し、ちょうど口の位置がマイクの前に来るした。草加の頭にやった手から、咀嚼した震動が伝わる。成功だ。
 


「ヴォッ……!!!!」
 


 モスカウの第一声モが音にならず、奇妙な発音がマイクを通して、スピーカから流れ出た。
 


  「ディヅゥロォォォォ・ディグゥァワァァァァァァ!!!!!」
 


 あまりに大きい声により、ハウリングを起きた。一同、スピーカから漏れ出る不快音に耳をふさぎ、眉をひそめた。
 草加の発した聞き取りにくい言葉はどうやら、あの日本一有名なリアクション芸人、出川哲郎を西洋風に言ったものらしい。姓名が逆転している所から推察した。
 マイクを放り投げ、辺りをめちゃくちゃに暴れまわる草加。いつか学食で見た、七味事件を彷彿させるような光景だ。あの時はブレイクダンスもどきを披露していたが、今回は何やら阿波踊りの動きに似ている。
 


「水! 水!」
 


 来た。俺が待っていたその言葉。ようやく俺が変態思考で串井と張り合う時が来た。おそらく俺は、この思考では串井を上回る自信がある。
 草加の欲求に答え、俺はバックに眠っていた秘密兵器を取り出し、それを差し出した。草加は俺の渡したブツが何かを確認せずに、封を切られていないペットボトルのキャップを開け、一挙に口をつけた。
 刹那、停止する草加。BGMとして流れるモスカウの演奏がどこか寂寥感を掻きたてていた。
 


「ノォォォォォォォ! イツ・ベリィ・ホッォォォォォォトォォォォォ!!!!」
 


 学食で叫んでいたセリフをもう一度吐き、さらに高速化した阿波踊りをしながら、ボックスの外へと走り去ってしまった。おそらく、フリードリンクで何かで辛さを癒しに行ったのだろう。水を飲むと、通常辛さは余計に酷くなるものだが、しかし、水を取らなければ済まないという感覚にも襲われるものだ。
 沈黙したカラオケボックス。虚しく響くモスカウ。葉月は勿論、武田も、そして共謀した串井さえも呆気にとられていた。葉月と武田は、からしシュークリームからの一連の出来事に、串井は直後の秘密兵器登場にだ。
 皆が、呆然とした視線を俺に向けている。それが気持ちいい。心地いい。快い。
 


「カタリ君……それ、なんなの?」
 


 串井が、律儀に草加が置いて行ったペットボトルを指差した。
 俺はあえて何も言わずに、それを串井に手渡す。
 


「『百パーセント還元! タバスコジュース』……クソ! やられた!」
 


 串井がしてやられた、そんな表情を浮かべて両手で頭を抱えた。何処かの漫画で見たようなポーズで、うなだれる串井を眺め、俺は優越感を感じた。今日の行動ではずっと負けっぱなしだった分、その感覚は一入である。
 葉月がどこか咎めるような視線で俺を眺め続けている。やめてくれ、照れるじゃないか。
 


「と、いうかさ」
 


 武田が串井から手渡されたペットボトルを眺めて呟く。
 


「百パーセントのタバスコジュースなら、普通のタバスコそのものじゃない?」
   


 率直な感想。その考えは俺も、自販機の受け取り口から取り上げた際に、浮かんできた。そうだ、100パーセントタバスコと言う事は、つまりほとんど純粋なタバスコに近い。
 武田から葉月、葉月から俺にペットボトルがまわる。ペットボトルの使用物表示を見る。目に飛び込むのはまずタバスコという文字。その下に表記されているのは、保存料、着色料……と、非常に表記されているのが少ない。保存量の類以外で表記されているのは、塩、コショウ……。むしろ、これはジュースと言うより、スープに近いのではないのか?
 ペットボトルを回し、商品名の面に目を移す。『パーティに最適! 百パーセント還元! タバスコジュース』の商品名。正直あまりセンスを感じられない。ラベルの右下に、小さく『姉妹品 緑茶風チャイもよろしく!』表示されていた。なるほど、あれを作った会社が作ったのか。
 キャップが見えるように傾け、会社名を確認する。『W.Kドリンク企画』と表記されている。どうやら、これが悪魔のドリンクを作り続ける、正しく悪魔の会社と言えるだろう。
 演奏中止されたモスカウに代わり、次に演奏が始まったのはONIGUNSOW。恐らく、串井の入れた曲だろう。
 ヘビィメタル特有の激しいイントロがカラオケボックスにこだまする。この曲も若干演奏時間が長い。
 しばらくは草加は帰ってこないだろう。
 長いイントロ。
 終わらないイントロはない。
 あと数秒もすれば、串井の酷い歌声が響くだろう。
 


 ***
 


 もう、ほとんど日が沈んでいる。
 白峰に向かう電車の中、俺はやはり電車酔いと戦っていた。黒島から乗り換えた後なので、車内には俺と葉月しかいない。席は空いており、葉月と俺は行きとは違い、二人揃って席に座れた。
 車内は日中と比べ蛍光灯の光が強く主張をしている。車外は薄暗く、東側の空は濃い、紫色に染まっている。ノロノロとしたスピードで走るローカル線が、中途半端な田舎を疾走する。車窓から見る風景は、何処か幻想的にも感じるだろう。俺が、電車酔いを持っていなければ話だが。
 あの後草加が戻ってきた際、俺と串井──主に俺──に草加は、怒りを爆発させた。それもそうだろう、ただでさえからしシュークリームを食わされた上に、ほとんど純粋のタバスコを飲まされたのだから無理はない。
 しかし、タバスコの辛さが規格外だったらしく、口がうまく回らないようで、半分は何を言っているのかが解らなかった。
 


「片陸君……今日のはひど過ぎだよ」
 


 葉月が咎める視線を向ける。確かにその通りだ。どう頑張って見ても、俺がやった事は俺が悪いに決まっている。
 


「いや、あれだ。草加が飲ませてくれ、って眼で見るからさ。つい、悪いことと知っていても、気迫に負けて渡してしまった」
 


 酔いと戦いながら、適当に言い訳を立てる。
 


「でも、あんなのどこで見つけたんですか?」
 


「自販機だよ。どうやら、あの緑茶風チャイを作った会社らしい」
 


 悪魔の会社だよ、と付け加えて、シートに背に預ける。預けると言っても、先ほどよりも一層、リラックスしただけだ。やはり立っているのに比べ、座ってる方が酔いは少ない。
 葉月は緑茶風チャイを聞いて、苦笑いを浮かべた。確か葉月は飲んだことないと言っていた。噂を聞いたことがあるのだろう。恐るべき、W.Kドリンク企画。どのような会社なのだろうか。
 隣に座る葉月を見る。やや、短めの髪。小動物を連想させる大きな目。なんだか虐めたくなる顔だ。しかし、同時に虐めたらいけないという感覚もある。葉月に惚れる男が居るとすれば、この絶妙なバランスにやられるのだろう。事実、俺も客観的に見て葉月は可愛い方だと思う。
 不意に葉月と目が合う。何かあるんですか? といった表情を俺に向ける葉月。何でも、とその意味を表す為、軽く頭を傾げ、両手を上げ、視線を車窓へと移動させる。
 車窓の外の深い紫の空。
 明かりが漏れ出る住宅。
 生活の灯。
 どこか感じる寂寥。
 体に響く電車の振動。
 様々な臭いが混ざった車内。
 ほのかに匂う葉月の体臭。
 車掌の告げる駅名。
 白峰駅。
 減速する車両。
 降車準備、起立。
 ホームを滑る車両。
 停止。
 開ボタンを押す。
 降車。
 ホームに響く、発射メロディ。
 閉まるドア。
 滑り去る車両。
 静まり返る、ホーム。
 


「片陸君、本当に電車酔いなんですね。でも、今回はひどくなかったかな?」
 


「どうしてだろうな。青倉に行くときは、最近で一番の惨状だったな」
 


 ホームの階段を下り、今回の電車酔いを解説する。酔いが比較的軽かった訳を、座っていたからだとは、間違っても葉月には言えない。何しろ、行きに強がって、立っていた方が酔いが軽いと言ってしまったのだ。どうも、男は意地を付き通してしまう生き物らしい。いや、人間という生き物と言った方が正しいだろうか。
 自動改札機をスイカを使い通過する。葉月は切符を通して通過した。駅からロータリとも言えなくない、歩道に出る。辺りは暗くなり、街灯の灯りが自己主張をしており、俺たちの足元をしっかりと照らしていた。しかし、その明りはどこかやさしく感じた。
 


「片陸君はあっちだよね? 私はこっちなので、じゃあ」
 


「ああ、気をつけてな。お菓子あげるからって言う大人に着いてっちゃ駄目だぞ」
 


「……私、そんなに子供っぽく見えますか?」
 


「少なくとも、年上や相応の歳に見れる事はないな。実際そうだろ? 中学二年生あたりで、美容院で小学生? って聞かれたろ」
 


 実際そんなに子供っぽくは見えない。が、正直言って葉月を高校生と見る事は少し難しいと思う。背があまり高くない上、どこか小動物的な印象を受けるせいだろう。中学生に見える。
 


「……悔しいです。否定できない……」
 


 拗ねたようにうつむく葉月。いちいち、虐めたくなる表情と行動をする。どうも、俺のサディスッティックな一面とのツボの相性がいいようだ。
 


「それじゃあ、また学校で」
    


 返事の代わりにサムズアップを送る。葉月はそれに、微笑みで返した。
 遠のいてゆく葉月の背中。信号を渡り、すぐ近くの角に消えるまで俺は見送った。
 葉月が視界に消えたのち、俺も家路につく。葉月と異なる方角。閑静な住宅街に、俺は帰って行く。目の前に広がる、薄暗いアスファルトの道。等間隔に設置されている街路灯が、ロータリと違って非常に無機質な光を放っているように見えた。民家の灯りさえ、なぜか冷たく見える。一人になっただけで、こんなに印象が変わるのだろうか?
 硬いアスファルトの小片を踏んだのを、ラカイのスニーカのソールで感じた。冷たい夜の住宅街に、乾いた音を響かせた。
 その音さえも、冷たく、鋭く感じた。
 



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